たんけんすわのまち 補足篇

上社里曳きの途中で、三月に見逃したものをいくつか回ってきましたので、
補足という形で紹介していきたいと思います。


まずは内御霊殿の後方にある御室社。
元々は社殿ではなくミシャグジ様を降ろす儀式であった御室神事の時に
大祝や神長官が籠もった"室"が神格化したもののようです。
上社古図では子安社と荒玉社の間にあるので移転してきたのかもしれません。
里曳きではちょうど前四がこの横を通っており、多くの人が
御室社のある高台に登っていました。
私も心の中で断りながら後ろを通して頂くという罰当たりなことをしていましたが、
さすがに台座の上に乗るという所まではやりませんでした。
いくら何でも成り立ちを見た者からすれば恐れ多くて(^^;
次はちょっと下ったところにある若御子社


ここには建御名方神の十二柱の子神が祀られているとのこと。
看板に書かれている諏訪大明神画詞は諏訪信仰を知る上で欠かせない資料です。
諏訪市博物館や守矢史料館に写本が所蔵されているためタイミングが良ければ
見ることができるかもしれません。(原本は行方不明)


お次は県道を下った所にある相本社です。
他の場所は看板見て貰えば一目瞭然なのですが、
ここは文字が消えかかってて読みにくいですね。
加工前の写真から読み取ったものを下記に引用させて頂きます。
「相本社と明神馬場」
相本社の祭神はイザナギイザナミの二神で高部村の産土神である。
社殿造営は、古くは上伊那の勝間・美呂久の村々の役務であったという。
祭日、六月二十二日には、付近にあった「明神馬場」でやぶさめの行事が昔は行われてた。
社地面積四畝十九歩、石垣は文久元年につくられた。
俗に「ヤカマスサマ」と呼ばれ、御柱祭には「山見桟敷」がおかれ、前宮から
上社へ向かう御柱はこの相本社前へ曳き進められた。
「ヤカマスサマ」のいわれは「八叺様」で、柴舟が相本社へ来る頃には、
柴舟にあげられた金銭や米が、叺で八つもあったからといわれている。
明神馬場は、現在朝日生ロン前にあったという。
今でも「馬場の池」という池(今は湿地田)と地名が残っている。

朝日生ロンって何だ?近くにそんなものは無かったと思うんですが、
看板が古いから当時はあったのかもしれません。
柴舟は御柱迎えで使われるお舟ですから、本宮からここに至るまで多くの
お賽銭が投げ入れられていたのは想像できます。
その量が叺という穀物等を入れる袋で八つ分だから八叺様→ヤカマスサマと言うことですね。
叺一つ分の容量がどれ位かは分かりませんが……
最後は本宮の神楽殿に最近奉納された新大太鼓です。


なんか前のより大きくなっているような…
既に奉納されてますが、まだ仕上げが残っているとのことで
後々手を加えられていくようですね。

さて、今回回った場所も含めてGoogleマップを更新しました。
前宮と本宮は集中して社殿等があるので地図を分離しました。
もっと地域ごとに分離してもいいかなぁ……


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