エクスパンデッド26

LCVがまだ御柱祭モードなのでニュースを流してくれませんが、
本日上社前宮で御頭祭が行われました。
この御頭祭自身もかつてに比べれば簡略化され、
神官の家にも詳細が伝わっていなかったのかは分かりませんが、
守矢史料館の常設展示も江戸時代の旅行家、菅江真澄が記した書物から
再現したものなんですよね。
それによると十間廊に鹿七十五頭の首の他、兎の串刺し、焼皮、脳和え、魚、米、
その他諸々の神饌を供え、御杖(御贄柱)を藤刀で加工し、
御贄柱に神使を縛り付け、御手祓い道を回った後
神長官屋敷に向かい、そこで神使は解放された、という概略になっています。
御頭祭が大御立座という別名の通り、昔はそのまま各地の湛を廻ったようですが、
菅江真澄がそれを記してないと言うことはこの時は既に
廃れていたのでしょうか。ていうか小立座との違いが何なのか、
本を読んでもまだまだ難解です。
ざっと読んだ感じでは、廻る地域によって外県(伊那)、内県、大県(諏訪)と
と神使の担当を分け、先立って外県に出立するのが小立座、
御頭祭後に内県、大県に向かうのが大立座という事でしょうか。
さらに時代を遡ると御贄柱に縛り上げた神使をバッサリやって神に捧げていた、
とは三月に行った守矢史料館の方の説明ですが、それも異説あったりで
はっきりとしないんですよねぇ。ていうかバッサリやったら湛え廻れませんし。
そのあたりは口伝やら古文書から読み取ったりとやらでどこまで信憑性があるのか
分かりませんけどね。
現在は鹿の頭の剥製やら鹿肉の冷凍ブロックやらを供えるそうで、
随分とスマートになってしまっていますが、人で一杯の十間廊なんて
この時くらいしか見られませんよ。
休日と重なっていたら一度見てみるのもいいかもしれませんね。